1.はじめに:婚姻費用分担の基本と本件のポイント
夫婦が別居している場合、収入の多い配偶者(義務者)は、収入の少ない配偶者(権利者)に対して、生活費を分担する義務(婚姻費用分担義務)を負います。これは、夫婦がお互いに自己と同程度の生活を保障する「生活保持義務」を負っているからです(民法752条、760条)。
この義務は、婚姻関係が継続している限り、別居中であっても、また、離婚調停・裁判中であっても続きます。
今回ご紹介する東京家庭裁判所の審判は、特に以下の2点について、高収入の配偶者(相手方)の主張を明確に退け、婚姻費用分担の基本原則を再確認した点で注目されます。
- 「別居婚」など婚姻生活の実態がない場合でも、婚姻費用分担義務は生じるか?
- 婚姻費用の権利者が多額の固有資産(個人資産)を持っている場合、分担額は減額されるか?
結論として、裁判所は、相手方のこれらの主張を退け、収入格差に基づいて婚姻費用の支払いを命じました。
2.事案の概要
本件の夫婦は、令和5年8月1日に婚姻しましたが、婚姻後も同居することなく別居して生活を続けていました(いわゆる「別居婚」のような状態)。
申立人(妻)は、相手方(夫)に対し、婚姻費用の分担を求めて家庭裁判所に調停を申し立てました。調停は不成立に終わり、審判手続きに移行しました。
夫婦の収入状況
| 立場 | 職業 | 給与・賞与の支払金額(年収) |
| 申立人(妻) | 会社員 | 約483万円 |
| 相手方(夫) | 会社員 | 約711万円 |
この収入差から、収入の多い相手方が申立人に婚姻費用を支払う義務を負うことになります。
3.裁判所の判断:婚姻費用分担額の決定
裁判所は、申立人と相手方の生活保持義務の程度を考慮し、婚姻費用分担額の算定に際して、実務で広く用いられている「改定標準算定方式・算定表」(https://www.courts.go.jp/toukei_siryou/siryo/H30shihou_houkoku/index.html)を採用しました。
(1) 算定方法
夫婦双方の年収(申立人:約483万円、相手方:約711万円)を、夫婦間に子がない場合の算定表「(表10)婚姻費用・夫婦のみの表」に当てはめた結果、「2~4万円」の枠の上限付近に位置付けられると判断しました。
(2) 結論としての分担額
裁判所は、一切の事情を考慮し、相手方が申立人に支払うべき婚姻費用分担額を月額4万円と定めました。
(3) 支払始期と未払い分の支払い
婚姻費用を請求すべき始期については、申立人が家庭裁判所に調停を申し立てた月(令和6年9月)とするのが相当と判断しました。
その結果、相手方は、審理終結月の前月(令和7年3月)までの未払い分として、7か月分の28万円(4万円×7か月)を直ちに支払い、以降は離婚または別居解消まで毎月4万円を支払うよう命じられました。
4.相手方(夫)の主張と裁判所の判断
本件で特に重要となるのは、相手方が婚姻費用の支払いを拒否するために行った、二つの主張に対する裁判所の判断です。
(1) 主張1:婚姻後も同居しておらず「婚姻関係の実態がない」から支払う理由はない
相手方は、婚姻後に同居しておらず、婚姻生活の実態がないから、婚姻費用を分担する理由はないと主張しました。
【裁判所の判断:主張は採用できない】
裁判所は、「婚姻費用の分担義務は、婚姻という法律関係から生じるものと解される」とし、夫婦の婚姻生活の実態の有無によって、その義務の存否が左右されるものではないと明確に判示しました。
つまり、戸籍上の夫婦である限り、たとえ一度も同居していなくても、お互いの生活を扶助する義務は法的に生じるため、収入が多い方は少ない方へ婚姻費用を支払わなければならない、ということです。
(2) 主張2:申立人には多額の固有資産があり、自身で生活を保持できるから支払う必要はない
相手方は、申立人には多額の固有資産(個人資産)があるため、自身で生活できるのであり、婚姻費用を分担する必要はないとも主張しました。
【裁判所の判断:主張は採用できない】
裁判所は、この主張についても退けています。その理由として、以下の点を挙げました。
- 生活費は「収入」で賄うのが原則
一般的に、生活費は収入によって賄われるものであり、収入が生活費に不足するなどの「特段の事情」がない限り、固有資産を取り崩して生活費に充てるべきではない。
- 本件に特段の事情はない
本件では、申立人と相手方の収入や生活状況に照らし、固有資産を取り崩して生活すべき「特段の事情」は認められない。
したがって、仮に申立人に多額の固有資産があったとしても、それを理由に婚姻費用の分担義務や分担額を定めるのは相当ではないと結論づけました。
5.本決定の意義
本件審判は、婚姻費用の分担義務に関する以下の重要な原則を再確認するものであり、法律事務所として離婚・別居問題を取り扱う上で、非常に参考になります。
①「法律上の婚姻関係」が存在すれば義務は生じる
婚姻費用分担義務は、夫婦の同居や協力関係といった「事実上の婚姻生活の実態」から生じるのではなく、「婚姻」という法律上の関係から生じるものです。したがって、別居婚などで同居実態がない場合でも、戸籍が抜かれていない限り、収入差に応じた婚姻費用分担義務は発生します。
②固有資産の有無は婚姻費用の分担額に影響しないのが原則
婚姻費用は、夫婦それぞれの「収入」に基づき算定されるのが基本です。例外的な「特段の事情」がない限り、請求者が多額の固有資産を保有していたとしても、その資産を生活費に充てるべきとはされず、婚姻費用の分担義務や分担額が減免されることはありません。これは、生活費は資産を取り崩して賄うものではなく、あくまでも収入によって賄うべきもの、という考え方に基づいています。
本件は、これまでの裁判所の実務運用(夫婦としての実態や財産状況は、婚姻費用とは関連がないという立場)を明示的に確認したものとして、意義があると言えるでしょう。
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