離婚協議において、最も重要な要素の一つが財産分与です。夫婦が婚姻期間中に築き上げた財産をどのように分け合うかは、その後の生活に大きな影響を及ぼします。口頭やメールでのやり取りで「合意した」と思っても、法的に有効な「契約」が成立していると言えるのでしょうか?
今回は、離婚に際しての財産分与の合意が、メールのやり取りだけで成立したのか否かが争点となった裁判例(東京地裁令和4年3月25日判決 ウエストロー・ジャパン搭載)を紹介します。
事案の概要(メール合意と協議の難航)
この事案では、離婚に至った元夫婦(原告:元妻、被告:元夫)の間で、財産分与に関する「契約の成否」が争われました。
◆原告の主張:メールで「財産分与契約」は成立した
原告は、被告との間で、メールのやり取りを通じて、財産分与として総額2400万円を分割で支払う旨の合意が成立したと主張しました。この2400万円は、被告名義の自宅不動産の評価額2000万円(仮査定4000万円の半分)と、これに扶養的財産分与として400万円が上乗せされた合計額だとされています。
原告が根拠とした主なメールのやり取りは以下の通りです。
- 2017年12月7日(被告から原告): 「家の価値は簡易査定では、5000万~6000万ぐらい。ローン残高1800万なので、仮に4000万とします。2で割ると2000万、月20万づつ払います。引っ越し費用として一時金100万払います。家が売れた場合は、その半分を払います。上記で良ければ、契約書作って送ります。」と提案。
- 2017年12月9日(原告から被告): 「おおよそこれで良いとは思いますが、扶養的財産分与として、400万円載せてください。」と返信。
- 2017年12月9日(被告から原告): 「下記了解しました。急ぎ契約書つくります。」と返信。
- 2017年12月22日(被告から原告): 合計2400万円の支払いスケジュール(頭金130万円、その後分割払い)を提示した返済表を添付し、「いかがでしょうか?良ければ、週明けに130万円送金します。雑多に忙しく契約書遅れてます。できるだけ早く送ります。」と送信。
- 2017年12月24日(原告から被告): 「了解しました。送金の控え、メールで良いので送ってください。」と返信。
原告は、これらのメールのやり取りによって、最終的かつ確定的な合意が成立したとして、被告に対し、未払いの財産分与金や弁護士費用相当額の損害賠償を求めました。実際に、被告から130万円の受領と、2018年1月と2月に20万円ずつ受領したという事実もありました。
◆被告の反論:メールは「暫定的な提案」に過ぎない
一方被告は、メールでのやり取りは確定的な契約合意を形成するものではないと反論しました。その根拠として、以下の点を挙げました。
- 自宅不動産の価値は「仮に」と記載されており、確定的な金額提示ではなかったこと。
- メール中に「契約書作って送ります」とあり、書面での契約成立を前提としていたこと。
- 原告が送った公正証書案の段階で、財産分与の総額や内容が当初のメールと異なり、養育費など他の清算事項についても未合意の点が多数あったこと。
- 原告自身が、後に申し立てた財産分与調停申立書に「話合いを行ったが、合意できなかった」と記載していたこと。
- 被告から原告に実際に行われた支払いは、離婚後の生活を考慮した一時的な援助であり、契約に基づくものではないこと。
裁判所の判断:契約成立には「最終的かつ確定的な認識」が必要
裁判所は、まずは一般論として、契約が成立するためには、当事者間に「最終的かつ確定的な意思の合致」が必要であるとしました。そして、「当事者が契約の成立にあたって書面の作成を予定している場合には、当事者は、その書面の作成をもって、当該意思の合致が最終的かつ確定的なものになるものと認識するのが通常である」と判断基準を示しました。
(東京地裁令和4年3月25日判決 ウエストロー・ジャパン搭載)
契約は、当事者の意思の合致によって成立するが、ここにいう意思の合致とは、それが究極的には裁判による強制的実現を可能とする法的義務の発生を基礎付けるものであることからして(ただし、意思表示に当たり、当事者がそのように認識する必要があることを意味するものではない。)、最終的かつ確定的なものであることを要すると解される。そして、ここにいう最終的かつ確定的なものであるというためには、当該意思表示が最終的かつ確定的なものであることを当事者が認識していることが必要であると解される。
そして、当事者の意思の合致が上記の意味で最終的かつ確定的なものである限り、契約の成立に当たって契約書その他の書面は不可欠ではないものの、当事者が契約の成立に当たって書面の作成を予定している場合には、当事者は、その書面の作成をもって、当該意思の合致が最終的かつ確定的なものになるものと認識するのが通常であると考えられる。
この基準に基づき、裁判所は本件のメールのやり取りと、その後の当事者の行動を詳細に検討しました。
- 契約書にすることが予定されていたこと
- 2017年12月24日のメールのやり取りで、2400万円という金額や支払いスケジュールについて「合意(12月24日の合意)」がなされたことを指摘しました。
- しかし、被告が「契約書作って送ります」と明記していたこと、自宅不動産の価値が「仮に」4000万円とされており、売却価格が下回った場合の取り決めがないことから、この「12月24日の合意」が最終的かつ確定的なものとして双方に認識されていたかについては疑わしいと判断されました。
- 原告のその後の行動が「最終的合意」を否定する
- 原告が後に作成し被告に送付した公正証書案(離婚協議書案)の内容が、「12月24日の合意」と比較して金額や支払い期間、財産分与の対象(家族収入保険など)が原告に有利な形で変更されていた点が指摘されました。これは、原告自身が「12月24日の合意」を最終的だとは認識していなかったことをうかがわせるとされました。
- さらに、原告が申し立てた財産分与調停申立書に「話合いを行ったが、合意できなかった」と記載されていたこと、そして調停手続において、当初のメール合意に固執せず、不動産の査定などを踏まえて財産分与の協議を継続していた点も、原告が「12月24日の合意」を最終的かつ確定的なものとは認識していなかったことを強く示すものと判断されました。
これらの事実から、裁判所は、「被告のみならず原告においても、12月24日の合意をもって、財産分与についての原告と被告との間の最終的かつ確定的な合意であると認識していたとは認められない」と結論付けました。
結果として、原告が主張した財産分与契約は成立していないと判断され、原告の主位請求は棄却されました。
本判決の意義
今回の東京地裁令和4年3月25日判決は、離婚時の財産分与合意の「成否」に関して、以下の教訓を与えてくれると言えるでしょう。
- 「最終的かつ確定的な合意」の認識が重要: メールなどのやり取りで具体的な内容が示されたとしても、それが当事者双方にとって「これで全て完了」という認識の「最終的かつ確定的な合意」でなければ、法的に有効な契約とはみなされない可能性があります。
- 書面作成の重要性: 特に金額が大きく、長期にわたる支払いを含む財産分与においては、合意内容を書面に残すこと(公正証書など)が極めて重要です。書面作成を予定していたにもかかわらずそれがなされなかった場合、合意が最終的ではないと判断されるリスクが高まります。
- 一貫した行動の必要性: 合意があったと主張する側が、その後の行動(公正証書案の内容変更や、調停での主張など)で、当初の合意内容と矛盾する態度をとると、その合意の有効性が否定される根拠となります。
離婚時の財産分与は、将来の生活を左右する重要な取り決めです。後々のトラブルを避けるためにも、安易な口約束やメールでのやり取りだけで済ませず、弁護士などの専門家を交えて慎重に協議し、最終的な合意内容を明確な書面(離婚協議書、公正証書など)で残すことが何よりも重要であると言えるでしょう。
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