今回紹介する判決は、離婚協議書で1500万円の離婚慰謝料の支払いを取り決めたものの、その金額が公序良俗に違反するとして、450万円を限度に有効とした東京地裁令和4年8月18日判決(ウエストロー・ジャパン搭載)です。
1 探偵業者も離婚協議書の作成に参加した特殊な事例
今回の事案は、妻側が探偵業者に依頼をし、浮気調査だけでなく、離婚協議書の作成にも関わってもらい、さらに、夫に対して離婚協議書への署名を迫る際にも、探偵業者が同席していたという特異なものです。
この特殊性は、裁判所も非常に重視しました。
裁判所の判断理由においても、そうした事情が記載されています。
(東京地裁令和4年8月18日決定 ウエストロー・ジャパン搭載)
ア 原告(注:妻)は、探偵会社に被告との離婚条件について希望を伝え、令和2年5月14日、いったん本件自宅を出た後、探偵会社が作成した各条項の金額部分が空欄である本件協議書の書式を持参した男性調査員ら及び原告の友人女性を同行して、同日午前10時頃、被告(注:夫)が在宅していた本件自宅に戻った。
イ 男性調査員らは、被告に対して簡単に自己紹介をした後、原告と被告が隣り合わせで調査員らと対面する位置関係でテーブルを挟んで着席し、原告の友人女性(原告のもと同僚で被告の顔見知り)は付近のソファに着席した。
ウ 男性調査員らは、被告にAとの不貞行為の事実確認をし、被告が不貞行為を認めると、原告が離婚を希望しているとして、離婚協議書の作成手続に応じるよう求めたが、その際、被告の対応により話合いがスムーズに進むか否かで今後の原告の対応が異なること、この話合いの状況は、原告の親に電話を通して伝わっていることなどを告げた。
エ 被告は、男性調査員らから原告が離婚に伴う慰謝料を1500万円と希望していることを伝えられると、これに異論を述べない一方、長期の分割払いを希望し、頭金の支払可能額について引越費用を引合いに出して原告とやり取りをしたほか、違約金等について、原告が希望するまま、1回当たり800万円とすることに同意し、男性調査員らがこのようなやり取りに基づき、本件協議書に金額・年月日等を記入し、原告及び被告ともこれに署名押印した。
裁判所の事実認定から、この離婚協議がいかに特異な状況だったかがわかります。まとめると、以下の通りです。
・探偵業者の調査員が離婚協議書を作成した。
・妻は、男性調査員複数と、妻の友人女性を連れて夫の自宅に戻った。
・話し合いの際は、夫の隣に妻が座り、夫・妻とテーブルを挟んだ反対側に男性調査員らが座り、妻の友人女性は近くのソファに着席した。
・男性調査員らは、夫に対して、離婚協議書の署名に応じるよう求め、その際、夫の対応により、今後妻の対応が異なること、この話し合いの状況は妻の親に電話と通して伝わっていることを告げた。
・離婚協議書の内容は、慰謝料1500万円、妻側に今後連絡を取った場合の違約金として一回当たり800万円という内容のものであった。
このような特異な状況において、この裁判では、①強迫による取り消しが認められるか、②取り決めの内容が公序良俗違反により無効になるか、が争われました。
2 強迫による取り消し(民法96条1項)は認めず!
妻のみでなく、その友人や、探偵の調査員複数名に囲まれた夫としては、たとえ男性であっても、相当に畏怖や恐怖を感じたことは容易に想像できます。
そのため、夫は、1500万円の慰謝料の支払いを取り決めた離婚協議には強迫行為があったとして、取り消し(民法96条1項)を主張しました。
しかし、東京地裁は、結論として、強迫による取り消しは認めませんでした。民法上、強迫とは、「他人に害悪を告げ、畏怖を与えることにより、意思表示を行わせようとする行為」を言います。しかし、裁判所は、今回の男性調査員らの発言について、そうした強迫にまでは当たらないと判断しました。
3 公序良俗による一部無効(民法90条)
一方で、裁判所は、本件の慰謝料1500万円という取り決めが、公序良俗に反するとし、一部を無効としました(民法90条)。
(東京地裁判決 続き)
ア 本件協議書所定の離婚に伴う慰謝料は1500万円に及んでおり、離婚に伴う慰謝料としては高額であることが明らかである。加えて、本件協議書には、被告のみがAや原告の関係者に対する連絡行為を禁止されるといった一方的な内容の定めがある上、これらに違反した場合の違約金について1回当たり800万円という明らかに不合理な金額等の定めがある。
本件協議書の以上のような記載内容について、本件協議書の作成の際、原告と被告との間で、その妥当性が議論・問題とされた形跡はないが、このような経過は、原告が被告に協議離婚に関する協議を行うことを予告することなく、複数名で本件自宅に戻り、不貞行為の事実を突き付けたことにより、被告が動揺・困惑したことによるものであったと認められる。
そうすると、本件協議書は、被告が冷静な判断・対応をすることが困難な状況の下で、被告に著しく不利益な内容を伴うものとして作成された書面であり、内容面・手続面に当事者間の衡平性を欠く瑕疵があるといわざるを得ず、その記載内容を全部有効と解することが不当であることは明らかである。
東京地裁は以上のように述べ、離婚協議書の全部を有効とすることは明らかに不当であると明言しました。
ここで注意が必要なのは、裁判所は、慰謝料1500万円という、「ぶっ飛んだ金額」のみではなく、離婚協議書が作成された方法・経緯も重視したということです。これは、公序良俗違反を問う場合に、その内容だけでなく、過程も重視するという裁判所の立場を見出せるでしょう。裁判所は、「内容面・手続面に当事者間に衡平性を欠く瑕疵がある」と表現しています。内容と手続の双方が重要なのです。
とはいえ、裁判所は、協議書の内容の全てが無効というわけではないことを念押ししています。
(東京地裁判決 続き)
イ 他方で、本件協議書と離婚届は、実質的に一体のものとして作成されており、原告と被告の協議離婚は、本件離婚合意を前提としたものであると認められるが、被告は、協議離婚については有効性を争っておらず、いわゆる有責配偶者としての離婚請求の制限を受けることはなく、婚姻費用の分担義務を負うこともなくなっている。このような事情に加え、本件協議書作成の際の被告の動揺・困惑は、結局のところ、被告自身の行為に起因する面が少なくなく、被告の意思決定に対する制約を原告のみに帰することは必ずしも相当でない。そして、原告の実質的な収入水準は、被告のそれを相当に上回る状況にあったと認められることにも照らすと、本件離婚合意の慰謝料に関する部分全部が公序良俗に反するというのは相当でない。
本件の離婚は、そもそも夫の不貞に起因するものでした。そのため、本来、夫は有責配偶者という立場ですから、夫が希望したとしても、妻が反対をする限り、容易には離婚は認められません。しかし、今回は、離婚協議の結果、離婚できることになり、それにより、妻に対する生活費の支払いを免れることになりました。妻側からすれば、夫は、離婚の結果を受けていれているのに、離婚協議の内容(慰謝料の支払い)は受け入れてないという点で、納得できない部分があるでしょう。
今回の東京地裁も、離婚協議の取り決めの不当性について、全て妻に責任を押し付けるのは妥当ではないという形で、バランスを取りました。
その上で、東京地裁は、慰謝料の取り決めについては、あくまでも相当額を超える部分が無効であるとしました。そして、その相当額をいくらとするかについては、以下のように判断しました。
ウ そこで、本件離婚合意のうち離婚に伴う慰謝料に関する部分については、本件協議書作成当時の状況の下、当事者間の合意として、相当と認められる慰謝料額の限度を超える部分に限り、公序良俗に反して無効であると解するのが相当である。そして、①原告と被告との間の婚姻の経過、②被告の不貞行為の状況、③本件協議書作成の状況、④被告の資産・収入状況のほか、その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、当事者間の合意として、相当と認められる慰謝料額の限度は450万円であるというべきである。
結論として、東京地裁は、450万円という金額を限度として、慰謝料に関する取り決めの有効性を認めました。
ここで注意が必要なのは、東京地裁は、慰謝料としていくらが相当かを判断したのではなく、取り決めた慰謝料額について、いくらまでを合法とすべきか、という観点で判断をしているということです。もし、慰謝料としていくらが相当かということであれば、離婚慰謝料の相場である200万円から300万円が認められることになったことでしょう。
4 おまけ:男性調査員らの弁護士法違反は合意の効力に影響しない
ところで、本訴訟では、妻側として参加していた男性調査員たちの行動が、弁護士法72条(弁護士資格なしで法律業務を行うことの禁止)に違反する疑いがあり、それが協議書の有効性に影響を及ぼすかも論点となりました。
ただ、探偵業者による不当な介入があったとしても、それだけで民法上の契約の効力が否定されるわけではありません。行政ないし刑事的な違法行為が介在したとしても、それと民事法上の効力は別問題とするのが、法律の原則論です。
今回の東京地裁も、その点については以下の通り述べ、合意の効力に影響しない旨を判断しました。
(東京地裁判決 続き)
エ 被告は、本件協議書の作成について、男性調査員らによる非弁行為の疑いがあると主張するが、被告の主張は、男性調査員らの関与が原告の利益を害することを前提とするものではなく、男性調査員らの関与が弁護士法72条に違反することで直ちに本件離婚合意の効力が否定されるべきものではないと解されるから(最高裁平成29年7月24日第一小法廷判決・民集71巻6号969頁参照)、被告の主張は上記判断を左右するものではない。
5 本判決の意義
今回の東京地裁の判決は、離婚慰謝料について、有責配偶者である夫が支払うものであっても、その金額次第では、公序良俗違反により一部無効となることを認めたという点で意義があります。また、公序良俗違反の判断をする場合、合意の内容だけでなく、合意がなされた具体的な過程も重要であることを示したものとして、本判決は先例としての重要な価値を持つものと言えるでしょう。
当サイト運営・プロキオン法律事務所では、相談室(渋谷駅徒歩5分・横浜駅徒歩6分)またはオンラインにて、無料相談を実施しています。