今回ご紹介する決定は、一人会社の役員兼株主が養育費の支払い義務者である場合に、会社の内部留保となる金額を個人の収入と見るべきかが争われた東京高裁令和4年5月24日決定です(ウエストロー・ジャパン搭載)。
東京高裁は、一人会社であっても、原則として、人格の異なる会社の内部留保を株主が自由に使用できるわけではないから、直ちに株主個人の収入と同視することはできないと判断しました。
1 事案の概要
本件は、一人会社の役員兼株主である養育費の義務者である元夫が、収入が減少したとして養育費減額の申し立てをした事案であり、原審はこの申立てを認容しました。
これに対して、権利者である元妻は、養育費の算定上、義務者が一人会社の役員兼株主である場合には、義務者に養育費を減額する目的があるか否かにかかわらず、一人会社の内部に留保された利益を義務者の収入と同視しなければ、株主からみて実質的な経済状態に差異がないにもかかわらず、一人株主の意思決定により未成年者の経済状態に大きな差異が生じるという不合理・不公平な結果を生じると主張し、東京高裁に抗告を申立てました。
これについて、東京高裁は、「一人会社であっても、法人格が形骸化し又は濫用されている場合でない限り、人格の異なる会社の内部留保を株主が自由に使用できるわけではないから、直ちに株主個人の収入と同視することはできない。」として、元妻の抗告を棄却しました(ウエストロー・ジャパン搭載)。
2 東京高裁の審理内容
東京高裁は、元夫が一人会社の株主兼役員であることを前提として、この一人会社の法人格が形骸化しているかどうか、あるいは濫用されているものかどうかを具体的に審理しました。
その上で、
①「同社には複数の取締役と40名以上の従業員がいること」
②「令和3年1月31日の決算期において、資産のうち現金預金は約9400万円であるのに対し、負債のうち長期借入金は合計1億1100万円以上であることが認められ、中核となる介護事業についても新型コロナウイルス感染症の感染拡大により経営が悪化した同業者もあることなどに鑑みれば、役員報酬や剰余金配当を抑制し当期純利益(内部留保)を最大化させて早期の債務圧縮を目指すことは、会社存続のための一つの合理的な経営判断というべき」
という2点から、法人格が形骸化していたり、法人格が濫用されているということはない旨を判断しました。
そして、結論として、法人の内部留保を、元夫個人の収入とは認めることはできないとしました。
3 法人格否認の法理
東京高裁が判示した、「一人会社であっても、法人格が形骸化し又は濫用されている場合でない限り」という部分は、「法人格否認の法理」と呼ばれるものです。会社の形式的独立を貫くことが、正義・公平の理念に反するような特別な場合に限り、会社の法人格を当該法律関係に限って否認することで事案の衡平な解決を図るという、判例・学説上認められてきたものです。
そして、本件は、これが養育費についても適用され得ることを示したものと考えられます。
ただ、法人格否認の法理については、会社とその社員(株主)とが別個の人格を有する以上、同法理は安易に適用されるものではありません。できるだけ現行の法によって具体的に妥当な結論を導くべきですので、そうした場合だと妥当な解決が困難な例外的な場合にのみ、この法理が適用されることになります。
そのため、養育費においても、法人格否認の定理を適用し、内部留保を一人株主の収入とするのは、ハードルが高いと言えるでしょう。
4 本決定の意義
法人格が形骸化し又は濫用されている場合とは、株主と会社に実質的・経済的な一体性が認められる場合や、会社を支配する者が違法不当な目的のために会社の法人格を利用する場合が考えられます。
そのため、養育費についても、具体的な事実関係から法人格が形骸化し又は濫用していることを立証していく必要があると言えるでしょう。
このように、本決定は、養育費についても法人格否認の定理を適用し得ることを示した点で意義があると言えますが、一方で、会社は個人とは別人格のため、原則として会社の内部留保を個人の収入と同視できないことを念押ししたものとも言えます。
養育費について、具体的にどのようなケースで法人格否認の法理が認められるか。今後の判例を注視して行きたいと思います。